石垣山城
織田信長が本能寺の変で明智光秀に殺された後は豊臣秀吉が山崎の合戦で明智光秀を討伐し、政権を握り天下統一を成し遂げました。
豊臣秀吉もまた奇策を打ち出し、常識はずれの築城や築堤など多くの歴史を作りました。
小田原攻略の際に笠懸山に後に一夜城と呼ばれることになる石垣山城を築城する。
石垣山築城には3万人~4万人を集め、わずか80日で完成させました。
しかもこの石垣山城は80日で建てられたにも関わらず本格的な石垣などを備えている近世城郭であった。
備中高松城を墜落させるため豊臣秀吉は一夜城の他にも城の周りに長さ約4kmに及ぶ巨大な堤防を12日間とゆう早業で築堤し水攻めによって城は落とした。
織田信長や豊臣秀吉は当時の権力の強さを活かし、多くの人々を使い日本の歴史に残る建造物を次々に建設していった。
安土桃山時代は短い期間でありながらも関が原の戦いで石田光成が徳川家康に敗れるまで織田信長、豊臣秀吉の2人が大きく活躍した時代であり、建築の歴史においても大きな変化をもたらした時代でもあった。