安土桃山時代

私は日本史が好きです。

特に戦国時代から江戸時代にかけての日本の歴史が好きです。

この時代はたくさんの戦国武将が日本各地に登場し、多くの戦いを繰り返し新しい歴史を作っていきました。

そんな中、日本中に戦国武将が登場したのに伴い、日本各地に小さなお城から大きなお城までたくさんの城が築城されました。

そんな多くのお城を生み出した戦国時代の中で最強とうたわれ、天下統一に最初に近づいた戦国武将でもあった織田信長。

権力や勢いの大きさを誇示するかのように織田信長が築城した城こそ織田信長最後の夢であった安土桃山城だったのです。

私が知っている数少ない建築家の一人に岡部叉右衛門がいます。

岡部叉右衛門は日本の歴史上で一番壮大で豪華絢爛だったと言われる天守閣を持つ巨城、安土桃山城を建てた建築家です。

今でも世界には想像も出来ないような凄い建造物がたくさんありますがそのどれにも引きを取らないくらい豪華で巨大な建造物だったと言われています。

岡部叉右衛門は尾張の大工の棟梁でした。

その彼がある時、織田信長に今の滋賀県、当時の近江の国の琵琶湖を望む近江安土に安土桃山城の築城を命令されます。

岡部叉右衛門はライバル達との図面争いに打ち勝ち、日本史上最も巨大で豪華な安土桃山城の建築を許されました。

織田信長は3年で城を完成させろと叉右衛門に命令しました。

日本の歴史に類をみない巨大の城を今の技術なら簡単かもしれませんがその当時の建築技術では不可能に近いスピードで作っていきました。

叉右衛門は材木の声を聞き、その材木の特性を活かし巨大な安土城を築き上げました。

今は大きな建物を建てるときはクレーンを使って上から資材を持ち上げ組み立てていきますがその当時はクレーンもなければ機械なども当然ありません。

前代未聞、今までの歴史を塗り替えるような巨大な城を建設した岡部右衛門は大きなプレッシャーや織田信長らの圧力との間で葛藤を繰り返し、闘いながら築城していきました。

岡部叉右衛門は自分信じ、妻や仲間を信じ、多くの人を集め全て人の手で当時の建築技術をフルに活かし巨大な城を築城したのです。

石垣山城

織田信長が本能寺の変で明智光秀に殺された後は豊臣秀吉が山崎の合戦で明智光秀を討伐し、政権を握り天下統一を成し遂げました。

豊臣秀吉もまた奇策を打ち出し、常識はずれの築城や築堤など多くの歴史を作りました。

小田原攻略の際に笠懸山に後に一夜城と呼ばれることになる石垣山城を築城する。

石垣山築城には3万人~4万人を集め、わずか80日で完成させました。

しかもこの石垣山城は80日で建てられたにも関わらず本格的な石垣などを備えている近世城郭であった。

備中高松城を墜落させるため豊臣秀吉は一夜城の他にも城の周りに長さ約4kmに及ぶ巨大な堤防を12日間とゆう早業で築堤し水攻めによって城は落とした。

織田信長や豊臣秀吉は当時の権力の強さを活かし、多くの人々を使い日本の歴史に残る建造物を次々に建設していった。

安土桃山時代は短い期間でありながらも関が原の戦いで石田光成が徳川家康に敗れるまで織田信長、豊臣秀吉の2人が大きく活躍した時代であり、建築の歴史においても大きな変化をもたらした時代でもあった。